無線放送の歴史
無線放送の歴史 top 電気通信の歴史概要説明 無線通信の歴史概要
無線通信の歴史年表 無線電信の歴史 テレビジョン放送の始まり 真空管の歴史 無線通信用語解説
放送(Broadcasting) とは音声や画像の信号(番組)をある程度の人数の聞き手や視聴者のグループに向けて発信するもの(配信)です。このグループは一般大衆やある程度の人数の聴衆などを指します。
インターネットによる世界的に広がっている音楽などは少ない聴衆者であっても限定的に放送と呼ばれることもあります。
ちなみに"Broadcasting"の"broadcast"という言葉は、焼畑農法などで行われる、種を均一にばら撒く方法を"broadcast"と言っていたことから"Broadcasting"という言葉が生まれたものようです。
日本語の「放送」は「送りっ放し」で素気ないのですが、"Broadcasting"は命名者の意気込みが伝わってきます。きっと、電波が届くと、荒地から芽が出て、花が咲き、果実が実ることを夢見ていたのでしょう。
季節の異常が現実のもの
無線放送(Radio Broadcasting) の歴史
無線電話、ラジオ放送の始まり
1900年の春頃にはフェセンデン(Fessenden)は約1マイルの距離ですが、音声の送受信に成功しています。それは電信用の送信機に電鍵の代わりにアンテナ回路に電話機に使用されていた送話器を挿入して音声を送信することに成功しています。いわゆる、マイクロホーンによる直接変調のさきがげとなるものでした。
1901年にはボースによって方鉛鉱(galena)に針を接触させた鉱石検波器の最初の特許が出されました。1904年特許を取得しました。
この発明は安価で高感度の受信機を提供することが出来、無線の実験をする人が増加し、いわゆるアマチュア無線家が出現するようになり、放送の基盤作りに貢献しました。
1902年と190 3年にフェセンデンは実用的な電波の検出器を発明して米国の特許No706744、727331を取得しました。それはバレッタ(barretter)と呼ばれる方式でした。バレッタは交流を直流に変換するといった意味を持つフランス語です。
ところが、この方式では音声の放送は受信できましたが、モールス符号による電信(CW continuous waves)で電鍵を閉じたときと開いたときに音がするだけで、長音と短音を聞き分けることができませんでした。
その解決策として二つの周波数を合成するとその差と和の周波数が得られることを利用したヘテロダイン(heterodyne)方式を発明し、1902年に米国特許No706740を1913年に米国特許No1050441,1050728を取得しました。しかし、この方式は3極真空管が汎用になるまで使用されませんでしたが、この方式は今日の実用受信機の基本方式となっています。
お金は交換の媒体としてどのように重要です。
1906年フェッセンデンはクリスマスイブにクリスマスソングや聖書の朗読などの音声が送信され、これは大晦日の夜まで繰り返されました。そのとき使用された送信機(transmitter)は約500W、50kHzの高周波発電機(HF generator 回転数20,000 rpm)の高周波出力を直接水冷式カーボンマイク(Water cooled carbon microphone)に接続して、音声に応じた高周波出力を作り(AM変調)、それをアンテナ(antenna)に送るものでした。
フェッセンデンはクリスマスイブの3日前に無線電信でこのことについての予告をしていました。このように事前に送信内容を予告していたことから、これが最初のラジオ放送とされています。このころには鉱石ラジオが普及し始めていて、かなりの聴衆がいたようです。
1907年にリー・デ・フォレスト(Lee de Forest)は海軍の艦隊にアーク式の無線電話を装備して、レコードを演奏し、また、艦隊の駐留地に有名なオペラ歌手の歌を放送しました。艦船に装備されている無線機で多くの人が聞いていたようです。
1910年4月チャールズ・ヘラルド(Charles Herrold)はサンホセで雑誌にサンタクララ渓谷の人々にレコードの演奏を無線で放送すると予告して、大衆向けに音楽の放送を実施しました。
1912年から1917年ヘラルドとその学生たちは音楽放送番組を放送した。1915年環太平洋博覧会で毎日ラジオの受信を展示しました。
戦争と無線電信
第1次世界大戦
1917年真空管の発明と改良に伴い、戦争におけるラジオ技術の重要性が認識され、第1次世界大戦で国防のために全アマチュア無線が禁止され、ラジオ関連の特許も国防用に管理がされるようになりました。
重要な要素は、灯台に何ですか
送信機は直流アークとコイル、コンデンサを組み合わせることで一定の周波数を発生させる方式が開発され、第1次世界大戦の直前には軍事用としてこの方式で多くの送信機が作られるようになりました。
戦時中には軍部の防衛システムに無線通信が活用され戦争末期にはGE社のFW.Alexanderson等によって高周波の発生方法に大容量の高周波発電機(200kW、100kHz)を使う方式が開発され、直流アーク方式の不安定性を解決しました。
ラジオ放送の大衆化
1918年戦時使用禁止が解除され、ニューヨークのハイブリッジで音楽、ニュース、選挙結果などの放送を開始し、このときの送信機に真空管が使用されました。
WH社のフランク・コンラッド(Frank Conrad)は軍用の送信機を開発していて、その送信機のテストにレコードの演奏を放送していて、2から3人の実験者以外にもこの放送を聞いている人がいて、その人たちに向けて毎週土曜日の夜にレコードの音楽を放送しました。
戦後、 WH社は家庭用ラジオの広告を出して販売に努力しました。それから2,3年で米国でラジオが数千台販売され、放送局が数百局も誕生しました。そのときの受信機は鉱石ラジオが主体で、イヤホーンで聞いていました。
米国のRCAのラジオ会社が政府によって是認され、、GE社とWH社は家庭用受信機を作ることが許可され、WE社には送信機の製作が許可され、AT&Tには放送の中継が許可されました。
WH社はラジオを販売して、有料で放送を聴くことができるサービスの提供をする商業用に限定した無線局の許可を申請しました。
1920年11月には最初の商業用に認可されたラジオ放送局KDKAが最初に認可を受けて米国ピッツバーグで開局し、放送(Radio Broadcasting)を開始しました。最初に放送したのは大統領選挙の選挙結果でした。詳細は(最初の放送局)を参照して下さい。
放送開始からの10年間は鉱石ラジオが主体でしたが、その後バッテリーで動作するスピーカーを装備したラジオが販売されるようになりました。
放送事業の開始
1923年には米国AT&Tが所有するWEAF局からラジオでの広告が放送され、放送ビジネスが確立しました。
1920年代の初期にはAT&Tの独占が破壊され、NBC,CBSのラジオネットワークが形成されました。
このころ米国ではラジオで受信できる放送局が数百にもなり、お互いに妨害して良好な受信ができない状況が出現し、1927年にはFRCが組織され、放送局の周波数が再調整されるようになりました。さらに、放送局の開局には公益と利便性、必要性が考慮されるようになりました。
1934年にはFRCがFCCに 改組され不良広告を規制するようになり、各放送局ではラジオドクターを設置して自主規制するようになりました。
1934年ラジオニュースの即時性があり、新聞社は自社の新聞記事を朗読することや記事の提供を拒否し始め、APやUPが作られ、CBSはニュース部門を作るようになりました。
1934年音楽家協会は音楽の版権を問題にしてラジオへの出演を拒否する事件が発生しました。
FM放送の開始
1933年エドウイン・アームストロング(Edwin Armstrong)はFMを発明しましたが1970年代まで使用されませんでした。
1935年無線技術協会でFM放送の公開実験を実施し、ノイズが少ないことを証明しました。
1937年には米国のFCCでの最初の公開実験を実施、最初のFM放送局の建設許可は1937年に取得して、1939年に放送を開始しました。
第2次世界大戦
第二次世界大戦でラジオはニュースレポートの役割を果たし、主要なニュースソースになりました。
関連事項
マイクロホーンの歴史 変調 鉱石検波器 最初の放送局
0 コメント:
コメントを投稿