2012年6月3日日曜日

::Mexican-Art:: Edward J Sariban::


国際的見地で見るメキシコの巨匠たち
エドワード・J・サリバン


本展覧会のカタログに寄稿するように依頼され、私自身近代メキシコ巨匠たちの素晴らしい作品が一同に介するこの機会に、公式な意見と同時に個人的な感想を述べずにはいられない。私は北米のメキシコ美術の一研究者として、メキシコ人画家たちのアメリカ美術発展への独特の貢献を目の当たりにした上での文化的見地から始めたいと思う。実際、本展に含まれる画家の多くは、ここの両国間の芸術面での豊富な相互作用と相互関係の全容に独特の役割を果たした。19世紀後半以降北米のメキシコ人画家の多くは、アメリカのしか区分かに重要な反響を呼んだのである。1876年に、メキシコの写実的パノラマ風景画の巨匠、ホセ・マリア・ベラスコは、彼の描いた一点の作品<メキシコの谷>がメモリアル・ホールで開催され� �米国独立100周年記念万国博覧会で受賞し、フィアラデルフィアを訪れている1)。

訪問者あるいは長期滞在者としてのメキシコ人画家たちの米国流入の最大の波は、1920年代に始まり、それは1930年代にも多く、1940年代まで及んだ。メキシコの画家たちが米国の至る所で手がけた壁画作品は、メキシコと北米の美術史家によって詳細に研究されている2)。1929年の大恐慌とWPA(公共事業促進局)設立の結果として、発展した壁画制作の影響は決定的であった。リベラ、シケイロスやオロスコは、ロサンゼルス、サンフランシスコ、デトロイト、ニューヨークといった都市で、極めて重要な作品を制作した。その他の壁画運動の画家たちも重要な例となる作品を米国に残した。これらには(1929年にメキシコを発ち、以降はジョージアやハワイなど広範囲にわたる場所で過ごした)ジャン・シャルロー、(1920年代半ばか� ��1949年までニューヨークに断続的に住んだ)ルフィーノ・タマヨ、(1917年から1919年までニューヨークに住み、以降も作品をそこで出品し続けた)カルロス・メリダ、その他、多くの画家が含まれている3)。壁画運動との関連では軽く触れられるだけだが、本展の重要な作品に含まれアメリカの美術界との関連が重要であったその他のメキシコの巨匠たちもいた。この中には、1930年にメキシコの女性作家としては初めてニューヨークで、個展を開いたマリア・イスキエルド4)、1920年代にサンアントニオに住み、1940年代にニューメキシコ、アルカバーキで教鞭をとったヘスス・げれろ・ガルバン、1920年代、1930年代のニューヨークの美術、社交界の不可欠な一員であったミゲール・コバルビアスも含まれる5)。
 

この時代多くの北米の美術家たちがメキシコを訪れ、メキシコの画家たちとの間に活発な交流があった。フィリップ・ガストン、ロバート・マザウェル、ミルトン・エイヴリーといった近代の巨匠を含む多くのアメリカ人画家たちがメキシコで重要な作品を制作した6)。米国の1920年代から1940年代にかけて発展した大衆分化と呼ばれるものについては、あまり認識されていないのかもしれない。だがメキシコモードの衣服、メキシコ音楽にメキシコ料理も1920年代の初頭には、広い意味で米国の精神生活と物質文化に浸透していた7)。
 

メキシコシティの自宅にある、アンドレス・ブライステン氏の私設ギャラリーを訪れることは誰にとっても、例えばメキシコの偉大なるモダニズムの伝統に精通していない人にとってもある種の特権である。このコレクションは、この類いの私有のものとしては最も優れたものであり、メキシコ美術の20世紀への貢献を概観できる最も代表的なものであるといえるかもしれない。専門家にとっても、ブライステン氏の並々ならぬ知識と情熱をもって慎重に注意深く収集された、珠玉のような作品の中で時間を過ごすことができるのはこの上なく魅力的である。代表作家たちの傑作に対するだけでなく、来訪者は他のどのようなコレクションとも異なることに気付くのである。本店に選ばれた出品作品を見れば(そして、コレクショ� ��そのものにも)コレクターの一貫した観点に基づいた作品収集力とまたその収集品に対する細部にわたる気遣いがわかるだろう。
 


障害者支援団体ウィチタフォールズ、テキサス

近代メキシコ絵画は専ら自国の刺激的な絵画伝統に反応したのだ、というステレオタイプの意見がある。メキシコ美術の文献は、近代の巨匠たちと先スペイン期の絵画や彫刻の驚嘆すべき表現力、植民地下の豊富なイメージや、メキシコ民俗芸術の継承された伝統との類似性を強調することが多い。1910年から20年のこの国の革命後に生じたメキシコの芸術は、発展を遂げる政治や社会に従って新しい現実を組み立てつつ、ある意味で芸術家の大衆的、伝統的な形式への系統による視覚表現様式を再び作り出したというのは、しばしば繰り返される陳腐な決まり文句である。言い換えれば、20世紀のメキシコ美術の「民俗的」側面という決まり文句は、長い間、大衆作家や学者によって広められていったのである。本展覧会の非常に満� �させられる面は、この70年間のメキシコの芸術の起源と発展を説明する、こういった紋切り型の(そして、極めて欠点のある)一般論を壊そうとする主張である。本展へ訪れ、傑作の数々を見ていると、程なく近代メキシコ美術は結局、極めて複雑な、融合、適合、国際的な表現方法の再生や再創出のプロセスの所産である、という結論に達するのだ。
 

1928年に、ブラジルの文筆家で、哲学者でもあるオズワルド・デ・アンドラーテは、彼の著名な『食肉宣言』8)を執筆した。 この中で彼は、ラテンアメリカ文化は文字どおり西洋文明の創り出したものを「むさぼり」再形成しなければならないと言明した。彼は、いわゆる「新世界」の具体的な文化的要求に従うためによういった西洋文明の創作物を自分たちの手で再び生み出さなければならないと提案した。この宣言は(1920-30年代のラテンアメリカのその他多数のモダニスト、例えばマプレス・アルセのような作家、理論家や、初期段階のメキシコ近代美術の「新しい声」を明瞭に表現するために同じように重要であったシケイロスやタマヨ等による作品のように)、ラテンアメリカの視覚表現の国際的或いは「全世界的な」� �を強調した。
 

モダニスト自身にとっては、「ラテンアメリカ美術」という言葉は何の意味も持たなかったように思われる。結局、(あらゆる意味で同じ言葉を持っているという唯一の共通点によってのみまとまっている)多様で広範な国家の文化的所産が、どうして同質のひとつの単位としてみなされることができるだろうか。今世紀も終焉を迎えようとしているいま、我々は同質で単一な「ラテンアメリカ」芸術を誤って創造しようとしているのである。メキシコから南アメリカ南端(カリブ海の国家を含む)までを含むラテンアメリカ国家は、わずかな共通の視覚的関連を持ってはいるが、膨大な種類の文化、表現手段が同時に存在しているというのが現実なのである。
 

1920年代、30年代、40年代(本展の場合では、一番重点をおかれている期間)、歴史上でも発展段階にあったメキシコの近代人(他国の近代人も含め)にとって、芸術は、系統的にみても、絶えまない成長の過程を意味していた。芸術は、多様な国際的傾向に従い、実際にそれに一致させていくことを象徴していたのだ。また、メキシコの巨匠たちの場合、メキシコ国内外どちらにも現れていた多様な傾向と得にメキシコ的な造形的・図像的問題を解決しようとする一貫した考えを融合するために絶えず生まれる苦労を表現してもいた。従って、同時に他の場所(特にヨーロッパ、北米)でも発達した新しい芸術様式との活発なそして必然的な対話を始めたメキシコのモダニストによって生み出された表現言語は、本展に表現された根� �的なテーマである。本展出品作品に、我々はこの文化という限定されたドラマの中で、最も有能な主人公たちによる途方もない成果の存在に気づくのである。
 

本展の最初期の作品で、国際的な象徴主義に最も直接関連づけられるのは、アンヘル・サラガノ1909年の<女と操り人形>(cat.no2)である。サラガ自身はヨーロッパの巨匠たちとの直接の接触により成長した。1886年(リベラと同年)に生まれ、人生のほとんどはブリュッセル、マドリード、パリやその他のヨーロッパ美術界の中心地で学び、活動をした。アール・ヌーヴォー様式や、ロベール・ドローネーのキュービズム、(ヌエレヴォ・レオン州のモンテレーイの大聖堂のためのフレスコ画に如実に表れた)アール・デコの淡い色や角ばった構成に等しく機敏に反応した、時には変幻自在な画家であった彼の象徴主義への傾倒は、本展に展示されている作品で見ることが出来る。女性の像が、一見死んでいるように見える不思議に� ��きい操り人形と立っている。この作品は、アーノルト・ビアズリーといった作家の作品に顕著な、象徴主義的想像力の重要な要素である、(文字通り、そして比喩的に)操つる者としての女性、誘惑者としての女性、宿命の女の化身、といったテーマを扱っている。
 


従業員の肥満教育の助成金

アンリ・マティス芸術の、装飾的可能性は、めったにメキシコ・モダニストの作品と結びつけられることはない。それでもなお我々は、ブラステン・コレクションに、マティスの極めて特有な美学に似た方法で描かれた注目すべき作例に気づくのである。ルフィーノ・タマヨの<カラーのある静物>(cat.no23)は1924年に描かれた。ラケル・ティボルはこの魅惑的な作品のを、タマヨ自身が行ったメキシコの画家アドルフォ・ベスト・マウガルトにより開発された素描法の研究と結び付けて考えた9)。マウガルトは彼の生徒たちに、スペイン征服以前の文化に特徴的な装飾的な形だけでなく、メキシコの大衆芸術に対応した視覚的表現形式を発達させ、最も基本的な形から始めるように指導した。それでも、なお我々はパリとメキシ� ��両方の様式に慣れた我々の目でこの驚くべき作品を見ることができる。マティスの、単純な丸い形(大抵は花模様)と対比した平たんな色の豊かな表現力の可能性の活用を、この時点でタマヨはよく知っていたようである。しかしながら、彼はメキシコを離れたことがなく、マティスの作品を含んだ書物、或いは作品自体を見れたかどうかは、分らない。それでもなお類似点はあり、展覧会をおと訪れた人々は、必然的にメキシコとこのフランスの巨匠の間の精神の類似性に気付くだろう。
 

キュビスムは疑いの予知なく世界中の芸術家の想像力へ最も大きな影響があったモダニストの創案であった。キュビストの精神は、今世紀初頭10年のピカソとブラックによる「発明」に始まり、何かしらの形でその後に続き現在に至るまでヨーロッパ(ダブリン、リズボンやブダペストのような最も保守的な芸術の中心地でも)、ラテン・アメリカ、オーストラリアやアジアにおいても、拭い去ることができないほどの強い影響を残した。直接であれ間接的にであれ、キュビズムの教訓は、前衛的芸術の気運が盛んだったラテンアメリカの中心地において、近代美学の発展に必要不可欠であった。フィレンツェなどイタリア各地でじかにその作品を見てきたアルゼンチンの画家エミリオ・ペトルッティは、すぐにキュビズム=未来派� �関わった。1920年代のブラジル絵画に新しい性格を確立したタルシラ・ド・アマラルは、理論的キュビストであったアンドレ・ロートの弟子であり、フェルナン・レジェのアトリエをよく訪れた。モンテビデオにおけるモダニズムは、(マドリードの前衛的芸術家の不可欠なメンバーとして大半の時間を費やした)ラファエル・ペレス・バラダス、後には、新造形主義の立方=幾何学的表現形式に関連したパリの抽象主義/創造運動のメンバーとの関係により生まれた視覚的実験を試みたホアキン・トレス=ガルシアに擁護された。ハバナの初期のモダニストたちは後期印象派(特にゴーガン)の創意に頼ったが、ウィルフレッド・ラムやアメリア・ペラエスを含む第二世代の作家たちは、初期のパリ・キュビズムの源を、光をネオ・コロニ� ��ルな建築様式という生来キューバ的な関心事を示した芸術形式へと変えた。
 

本展の文脈で、キュビズムに関連した美学理論が見られるいくつかの重要な作例を見てみるのもためになるかもしれない。メキシコの芸術家たちは、文化的に、キュビズム表現形式の具体的な発展において特権的要素を持っていた。本展の多くの画家たちは、直接ヨーロッパの(キュビズムが導入されているパリ、あるいは他のヨーロッパの中心地で活動している)画家との交流があるか、キュビズム或いはキュビズムから派生した情報を自分の極めて具体的な表現様式を洗練するために利用した。ディエゴ・リベラの<サンマルタンの橋>(cat.no.5)は、作家の成長にとって決定的な年である1913年に描かれている。この作品は、彼のパリのアトリエでこの年の晩年に制作された。主題はトレド(前年までリベラはここに住んでいた� ��にある橋や風景であるが、これは彼が直接キュビズム様式を採用し始めていた瞬間を象徴する。(後に出会うことになる)ピカソ同様、モンドリアン(リベラと同じアパルトマンに住んでいた)からも影響を受けたこの作品は、様々な芸術的伝統への彼のこだわりをしのばせる。これは最も重要なキュビズム以前の絵の一つであり、また彼の初期成長段階における分岐点を象徴している10)。
 

パリの前衛芸術家と直接交流のあったもう一人のメキシコ画家は、アンヘル・サラガである。上記の<女と操り人形>で触れたように、彼の初期の作品は象徴主義への興味から生じたが、彼が十代の時には、キュビズムの形態の変化の可能性を学びその領域を越えた。<女流詩人>という作品では、テーブルの上の本は、完全に現実的に描かれているものの、ごくわずかな線で、最も単純化された人間の形態の輪郭が表現されている。
 


ノースカロライナ州の小児肥満症

ジャン・シャルローは、フランスからメキシコへ渡ってきた。メキシコ壁画運動にまさしく「創設の父」として参加し、運動最初期の国立高等学校の壁に重要なフレスコ画を残す一方で、ヨーロッパで吸収した前衛概念を吹き込みつつ円熟作家としてメキシコの地を踏んだ。本展には彼の持つ様々な伝統を融合した例として、単純だが極めて重要な作品がある。何かの塊のようで、そしてモニュメンタルでもあるシャルローの人物像は、画家のプレ・コロンビア像に対する強烈な関心を我々に思い起こさせるが、それでもなお、この作品を今世紀初頭の10年間で制作されたマティスやピカソの肖像に明らかな精神に結びつけることもできる。この二人のヨーロッパの画家は、非西洋美術にインスピレーションを得ていた。例えば、ピ� �ソのガートルード・シュタインの肖像には、アフリカやイベリアの彫刻精神が吹き込まれている。シャルローは、ヨーロッパ・モダニストの(人によっては「プリミティヴ」と呼ぶ)非西洋への親近感を受け継ぎ、彼が実際にメキシコで気づいたことを融合させたのだと私は思う。従って、彼は、イメージと芸術的戦略をそれが実際に生まれた場所から適用した「外部」からは勿論「内部」からの観察者であるとも言える。
 

1991年に根底を揺るがす展覧会がメキシコシティの国立美術館で開催された。「1920年から1960年のメキシコ美術におけるモダニズムと近代主義化と題されたこの展覧会は、「風変わり」「民族的」という、メキシコのポスト革命芸術神話の要素を払拭することを狙ったものであった。ホセ・クレメンテ・オロスコ、フリーダ・カーロ、フェルミン・レブエルタスやその他多様な画家の作品を取り上げ、しばしばキュビズムに関連した表現形式で実行される国際的な言語としての都市風景は、農場労働者の生活風景と同じようにメキシコの視覚表現形式の一部であることを証明した11)。この分野の傑出した作品の一つとして、今回の展覧会にも出品されている、1929年頃のガブリエル・フェルナンデス・レデスマの<工場の風景>(cat.no. 34)があげられる。ここでは工場の建物だけでなく景色もまるでコンクリート構造の一連であるかのように分析されている。そこには近代絵画だけでなくプーサンのような古典的巨匠の構成を思わせる強固さと記念碑性がある。しかし、こういったイメージの背後にあるのはヨーロッパ美術だけだったという訳ではない。創造の国に生まれた画家による作品としてこの作品が忘れられないものとなっているのは、明らかにメキシコのある地方の風景と見て取れるイメージでもあるのだ。
 

シュルレアリスムのメキシコへの影響については多くが書き著されている。アンドレ・ブルトンの「メキシコはこの上なく超現実主義的な国である」(疑いなく、これはメキシコの生活を真の意味で経験してない植民地主義者的態度である)という有名な宣言にもかかわらず、メキシコ美術の中に、しばしば「ファンタスティックである」という紛らわしいレッテルをはられたことに由来する要素が確かに存在している12)。1930年代後半から1940年代のメキシコの芸術家と国外在住の正統なヨーロッパのシュルレアリストたちの遭遇をメキシコのシュルレアリスムの始まりだと考える批評家もいるが、一方で、プレ・ヒスパニック芸術の「ファンタスティックな」要素やメキシコ植民地芸術の風変わりな面がその国のシュルレアリスム の傾向を明確にしたと示唆するものもいた。様々な解釈にもかかわらず、ブライステン・コレクションの多くの絵画の中に、異次元、夢の力や精神生活、忘れ難い暗示などに対する熱心な関心を示す強い傾向がある。このコレクションの中では、数人の画架しか正統的ヨーロッパのシュルレアリスムに依存していない。しかしながら、キュビズムに関連した形式を自分のはっきりした必要に適応させたメキシコ画家たちのように、ミロや、エルンスト、ダリ、レメディオス・バロ、ウォルフガング・バーレーン、レオノーラ・キャリントンのシュルレアリスム的構成を考案した画家たちは、巨大な創作性に富む作品を制作するために、自分で定義した芸術的性格と結合させ、独創的なものを再び創り上げたのだ。 
 


ホルヘ・アルベルト・マンリークも、アントニオ・エスピノザも、1930年代後半と1940年代にメキシコに来たシュルレアリストに関係しているとみなしていたアルフォンソ・ミシェルの要素を強調した。彼らは、ミシェルを「コンテンポラリー(contemporaneos)」グループとのつながりと、後の「断絶(Raputura)」運動(1950年代のメキシコの芸術形態のより広範な国際化を象徴する)との近い関係が作品中の顕著な特徴となっている極めて知的な芸術家であると定義する13)。本展を見渡すと、ここでわたしが簡潔に定義しようとしていた傾向、つまり、自己の絵画の伝統の一部を保ちながら、国際的な交流を始める多くのメキシコの芸術家の傾向似非常によく当てはまると思われる作品がある。ミシェルの場合、西洋世界にこの様式を広� ��るのに重要な役割を果たした、もう一人の偉大なシュルレアリストに言及する必要があると思われる。その謎めいた景色、またこれまでの古典世界への傾倒など、ジョルジオ・デ・キリコの後期の作品は、ミシェルの想像力に刻みつけられたようだ。例えようもないある緊張感やトラウマ体験の暗示が作品の心理的表面の下にあいまいに潜在する<未完の彫像>(cat.no94)や<苦悶>(cat.no.93)の二つの作品を検討するときに、私は特に、ミシェルとキリコの関係に惹きつけられるのだ。
 ミシェルの作品の極めて特異な個性は、神経症と呼ぶことができるかもしれないマヌエル・ゴンザーレス・セラーノの絵画とドローイングに匹敵する。本展においては、彼の殆ど恐ろしいともいえる自画像は、(最近ニューヨークの近代美術館で� ��ることができた)アントナン・アルトーの無気味な鉛筆で描かれた肖像と同様、作家生来の精神的恐怖と性格への懸念について雄弁に語っている。ヨーロッパのシュルレアリストたちは、個人の夢の世界と内なる存在の詮索を強調し過ぎる。しかし、ゴンザーレス・セラーノは、<均衡>という静物や、心を乱すような風景画の中の、ゆっくり腐敗し崩壊している物理的な場所を、我々自身のさけ避けがたい頭脳的、感情的衰退の比喩として示唆することにより、こういった詮索を何なく成し遂げているのだ。
 

ここでは<夢>(cat.co38)と題された不思議な永劫性を秘める作品にみられる、カルロス・オロスコ・ロメロの芸術は、シュルレアリスムに由来する国際的な刺激を変質させ、それに自分の明白な痕跡を刻みつける、メキシコの巨匠のもう一つの例である。しかしながら、私の考えで、本展では、シュルレアリスムやそのたぐいの運動には滅多に関連づけられないが、最も暗示的で、私たちの心を乱すごとくに描かれたマリア・イスキエルドの作品も見ることが出来る。<熱帯の駅>(cat.no.43)は、言いようがない孤独と僻地を定義している。これは少数の旅行者しか訪れない息苦しい南国の熱帯地方を示唆する。この作品でイスキエルドは、現実世界との整合性には殆ど欠けているが、時間と場所の特質を表現した。しかしながら� �<ロープ>(cat.no76)と題された油彩の作品においては、確実に見る人の方向感覚を失わせている。ルイス・ブニュエルのメキシコ時代の映画の物悲しさを思い起こさせるルイス・イスキエルドのこの作品は、馬がいて、どこにも続いていない道に輪なわが木からぐにゃりと掛かっている、という表現上はメキシコらしい風景を彼女の人を迷わす単純な演出で描くことで、我々の内に秘めた恐怖心を喚起することに成功している。
 

本展覧会を訪れた人は、なるほど、少なくとも外面的にはメキシコの巨匠たちの作品は、このように構成されているだろうと想像するイメージ通りの作品に出会うだろう。実に、出品作品の多くはメキシコ文化との関連性を含んでいる。色彩はニュアンスの伝達媒体として使用されている。しかし、特定の「メキシコ的」題材が多く描かれているものの、敏感な観者は、作品がこれといって型にはまっている訳ではないことに次第に気づくであろう。多くは、独自の方法で他国の絵画的伝統を、形を変えて自分の作品に適合させたのである。大抵の場合これらの作品には、観者をかき乱すような、強力なメッセージがある。しかしながら、どの例でも、我々は巨匠らしい絵画作品を展示されている。各画家の画歴の中でも非常に重要� ��考えられる作品も含まれている。全ての作品は、メキシコ近代美術の伝統の偉大なる力を明らかにし、西洋の視覚文化圏のなかでメキシコがいかに卓越した地位を享受していたかを我々に伝えてくれるのである。

 



1)ベラスコは後に、1944-45年にかけて、フィラデルフィアとブルックリンの美術館にて重要な展覧会を開催した。
2)アメリカにおけるメキシコ壁画運動の最も完成された研究については、Laurence P. Hurlburt, The Mexican Muralists in the United States, Albuquerque,1989参照
3)最も有用なメキシコ芸術家たちのアメリカ美術発展への貢献の概観は、Jacinto Quirarte, "Mexican and Mexican American Artists in the United States: 1920-1970" in Luis R. Cancel (ed.), The American Spirit: Art and Artists in the United States, 1920-1970, New York, 1988,pp.14-71に見られる。
4)イスキエルド芸術の優れた最近の展覧会カタログは、Maria Izquierdo 1902-1955, Chicago: Mexican Fine Arts Center Museum,1996 及び The True Poetry: The Art of Maria Izquierdo, New York: Americas Society,1997参照。
5)アメリカ滞在中のコバルビアスについては、Adriana Williams, Covarrubias, Austin,1994参照。
6)この現象は、James Oles の South of the Border. Mexico in the American Imagination 1914-1947, Washington D.C., 1993にて研究されている。
7)Helen Delpar, The Enormous Vogue of Things Mexican. Cultural Relations Between the United States and Mexico,1920-1935, Tuscaloosa and London,1992 参照。
8)これは、Revista de Antropofagia (no.1), Sao Paulo, 1928で出版された。
9)展覧会カタログ、Rufino Tamayo, Del Reflejo al Sueno 1920-1950 の中のラケル・ティボル、"Tamayo y su vuelo del reflejo al sueno", Mexico City: Fundacion Cultural Televisa,
1995-96, p.13参照。
10)この作品の詳しい論文については、展覧会カタログRamom Favela, Diego Rivera. The Cubist Years, The Phoenix Art Museum, 1984, p.59参照。
11)展覧会カタログ、Olivier Debroise, Francisco Reyes Palma et al., Modernidad y Modernizacion en al Arte Mexicano 1920-1960, Mexico City: Museo Nacional de Arte, 1991参照。
12)メキシコのシュルレアリスムに関しては、論争を呼んでいるIda Rodriguez Prampolini, El Surrealismo y el Arte Fantastico en Mexico, Mexico City, 1969を参照。その他に、Lourdes Andrade, "De amores y desamores: Relacions de Mexico con el surrealismo"及び、Jose Pierre, "Algunas reflexiones deshilvanadas sobre el encuentro de Mexico y del surrealismo", in El Surrealismo entre el Viejo y el Nuevo , Las Palmas de Gran Canaria: Centro Atlantico de Arte Moderno, 1990, pp.101-117参照。
13)展覧会カタログAlfonso Michel 1897-1957, Mexico City: Museo de Arte Moderno, 1991に含まれる、これらの批評家による文章を参照のこと。



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