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2012年6月4日月曜日
2012年6月3日日曜日
国際的見地で見るメキシコの巨匠たち
エドワード・J・サリバン
本展覧会のカタログに寄稿するように依頼され、私自身近代メキシコ巨匠たちの素晴らしい作品が一同に介するこの機会に、公式な意見と同時に個人的な感想を述べずにはいられない。私は北米のメキシコ美術の一研究者として、メキシコ人画家たちのアメリカ美術発展への独特の貢献を目の当たりにした上での文化的見地から始めたいと思う。実際、本展に含まれる画家の多くは、ここの両国間の芸術面での豊富な相互作用と相互関係の全容に独特の役割を果たした。19世紀後半以降北米のメキシコ人画家の多くは、アメリカのしか区分かに重要な反響を呼んだのである。1876年に、メキシコの写実的パノラマ風景画の巨匠、ホセ・マリア・ベラスコは、彼の描いた一点の作品<メキシコの谷>がメモリアル・ホールで開催され� �米国独立100周年記念万国博覧会で受賞し、フィアラデルフィアを訪れている1)。
訪問者あるいは長期滞在者としてのメキシコ人画家たちの米国流入の最大の波は、1920年代に始まり、それは1930年代にも多く、1940年代まで及んだ。メキシコの画家たちが米国の至る所で手がけた壁画作品は、メキシコと北米の美術史家によって詳細に研究されている2)。1929年の大恐慌とWPA(公共事業促進局)設立の結果として、発展した壁画制作の影響は決定的であった。リベラ、シケイロスやオロスコは、ロサンゼルス、サンフランシスコ、デトロイト、ニューヨークといった都市で、極めて重要な作品を制作した。その他の壁画運動の画家たちも重要な例となる作品を米国に残した。これらには(1929年にメキシコを発ち、以降はジョージアやハワイなど広範囲にわたる場所で過ごした)ジャン・シャルロー、(1920年代半ばか� ��1949年までニューヨークに断続的に住んだ)ルフィーノ・タマヨ、(1917年から1919年までニューヨークに住み、以降も作品をそこで出品し続けた)カルロス・メリダ、その他、多くの画家が含まれている3)。壁画運動との関連では軽く触れられるだけだが、本展の重要な作品に含まれアメリカの美術界との関連が重要であったその他のメキシコの巨匠たちもいた。この中には、1930年にメキシコの女性作家としては初めてニューヨークで、個展を開いたマリア・イスキエルド4)、1920年代にサンアントニオに住み、1940年代にニューメキシコ、アルカバーキで教鞭をとったヘスス・げれろ・ガルバン、1920年代、1930年代のニューヨークの美術、社交界の不可欠な一員であったミゲール・コバルビアスも含まれる5)。
この時代多くの北米の美術家たちがメキシコを訪れ、メキシコの画家たちとの間に活発な交流があった。フィリップ・ガストン、ロバート・マザウェル、ミルトン・エイヴリーといった近代の巨匠を含む多くのアメリカ人画家たちがメキシコで重要な作品を制作した6)。米国の1920年代から1940年代にかけて発展した大衆分化と呼ばれるものについては、あまり認識されていないのかもしれない。だがメキシコモードの衣服、メキシコ音楽にメキシコ料理も1920年代の初頭には、広い意味で米国の精神生活と物質文化に浸透していた7)。
メキシコシティの自宅にある、アンドレス・ブライステン氏の私設ギャラリーを訪れることは誰にとっても、例えばメキシコの偉大なるモダニズムの伝統に精通していない人にとってもある種の特権である。このコレクションは、この類いの私有のものとしては最も優れたものであり、メキシコ美術の20世紀への貢献を概観できる最も代表的なものであるといえるかもしれない。専門家にとっても、ブライステン氏の並々ならぬ知識と情熱をもって慎重に注意深く収集された、珠玉のような作品の中で時間を過ごすことができるのはこの上なく魅力的である。代表作家たちの傑作に対するだけでなく、来訪者は他のどのようなコレクションとも異なることに気付くのである。本店に選ばれた出品作品を見れば(そして、コレクショ� ��そのものにも)コレクターの一貫した観点に基づいた作品収集力とまたその収集品に対する細部にわたる気遣いがわかるだろう。